初めまして!kiki(キキ)です。
突然ですが、
皆さんは自分の価値をどうやって判断していますか?
数年前までの私は
”1円も稼げていない私は価値が無い人間なんだ。”
本気でそう思っていました。
20代の頃の私は30歳前後で結婚し、働きながら妊娠・出産。
時短勤務しながらカフェで店長に昇進していく。
そんな姿を想像していた私は…
気付けば妊娠することなくアラサーになり、
不妊治療と不規則なフルタイム出勤生活に疲弊。
アルバイトから10年半築いてきたキャリアを捨て、仕事を辞め専業主婦になりました。
そんな私が、2年経った今では
・Instagramフォロワー2.3万人
・Xフォロワー4,200人
・公式LINE登録者5,000人超え
・SNSマーケティングスクール講師
こんな実績を持ちながら活動しているお陰で、
営業をすることなく毎日のようにお仕事のご依頼をいただけるようになり、
月収30万円以上を安定しながら在宅ワークで働くことができています。
3年前まで、Webスキルも無かったただの専業主婦だった私が
Canvaと言うデザインツールに出会ってSNSを通じて人生が360°ガラリと変わりました。
「きっと特別な才能でも持っているんだろう」
そう思われることも多いのですし、「kikさんだから出来た」と言われることもありますが、実は私も同じように”上手くいっている人には特別な何かがある”そう思ってました。
でも違ったんです。上手くいく方法を知らなかっただけでしたし、
そのやり方を理解すればどんな人にも可能性があると私は本気で思っています。
そのやり方は少しずつお話ししていきたいと思うので、
まずは私がごく普通の人間だと言うことを知っていただけたらと思うので、
今回は私の幼少期からの自己紹介をしていきたいと思います。
kikiの基本情報
名前:kiki(キキ)
年齢:1988年生まれ(35歳)
住まい:埼玉出身、横浜在住
仕事:デザイナー・講師・秘書業務
幼少期〜中学生時代
埼玉のクリーニング屋さんに次女として生まれた私は、
父・母・3歳上の姉と父方の祖父母と共に6人家族でした。
ちびまる子ちゃんと同じ家族構成で、私は「まる子」と同じ次女。
性格はお調子者で、家の中でも毎日暴れまくるおてんば娘。
「この子はお嫁に行けるのかしら?」なんて家族に年中心配されるほどでした。笑
そんな私は幼少期は家族総出で働いていたこともあって、保育園で育ちました。
今では保育園に通園するご家庭も増えましたが、30年以上前の当時は幼稚園に通う家庭が多く、 かなり少人数の環境で育ったのを今でも覚えており、同級生は6人程度でした。
保育園ではぬくぬく育ったり、
小学校ではいじめにあいながらもなんとか日々を楽しむために過ごしていました。
小学校高学年から中学校では音楽に触れる機会が増えて、吹奏楽も経験。
金管楽器の”ユーフォニウム”と言う楽器や恩師にも出会い、
音楽の世界を極めたいと思うようになりました。
そこから夢中で音楽の世界に浸かり、高校は音楽科のある県立高校へ進学をしました。
井の中の蛙を痛感した高校時代
夢と期待に膨らませ通い始めた高校でしたが、
蓋を開くと自分の実力の無さを思い知らされました。
入学当初のテストでは40人中6位と好成績だったものの、
テストの度に順位は中間〜下になる事も多く、
気がつけば一般教科を中心とした勉強も成績はどんどん落ちてきました。
追い討ちをかけるように家庭環境も悪化。
実家の経営も良く無い状況が続き、両親の関係も悪く、姉も家にいないこともしばしば。
成績も下がり、家計や家族の関係性も悪化し、
自分の才能の無さを痛感しながらも、なんとか音大へ通いたい思いもあって
アルバイトしながら少しの可能性を信じていましたが、
学年が重なるにつれ、家庭環境はさらに悪化。
大学には行けそうなものの、金銭面的に音大には通えないことが決まり、
家庭環境も悪化の中で大学に通えるだけで恵まれていると思っていたので、
「音大に行ってもプロになれる訳でも無いし」と母に言って強がり、
自分の気持ちに蓋をしていたんだと15年後に気づきます。
今考えたら、本気で自分の叶えたいと思う夢であれば大学でなくても選択肢はいくらでもあったし、本当に叶えたいのであれば専門学校でも良かったと思っています。
それだけ、自分のやりたいことに自信がなかったのかもしれません。
この時、少しでも学生生活を送りたいと言う理由から中途半端に自分の人生を決めてしまい、小さい頃の夢だった保育士になりたいと思い、保育科の大学へ進学しました。
人生の転機&コンプレックスを感じた大学時代
私は大学4年間で人生の転機を迎え、コンプレックスを抱くようになります。
晴れて大学に入学し胸に期待を抱えていました。
大学に入ったからにはバイトもしっかりしたバイトをしたいと考え、
憧れていたスターバックスの面接を受け、なんと一発合格!
当時は何店舗受けても受からない人もいたので、自分が受かったのが不思議でした。
実際に働き始めると、プロ意識の塊のような人たちばかりで
気付けば自分も妥協できない程プロ意識がついていて、一気に沼りました。
大学2年の頃には、絶対にスターバックスの内定を取りたい。
そう考えるようにもなり就活先は全てコーヒー関係の会社ばかりを検討していました。
その数ヶ月後、信じたく無い出来事が起きたんです。
リーマンショックにより世間は一気に景気が悪くなりました。
世間では内定取り消しや会社が倒産した話も出てきたりと深刻な事態になり、
スターバックスもその年の採用は見送りになるほどでした。
もちろん私も翌年に採用があるかわからない状態だった事もあり、
かなり悩んだのを覚えています。
当時、保育士免許を取得するために実習も経験していましたが、
女性だけで派閥もあるような世界は向いていないと判断し、
一般企業への就職を検討していました。
母親とはこの件でかなり揉め、
「こんな不景気に飲食なんて考えられない」と言われる始末。
私は不安になり、飲食だけでなくアパレルや一般企業も検討し100社以上の会社を受けますが、書類で落ちることがほとんどで最終も1社しか進む事が出来ずにいました。
大手ほど書類で落とされることが多く、MARCH(マーチ)と言われるランクの大学に通っている友人も書類の時点で進まない事が多々あったので、大学のランクで落とされていると感じる同世代の人は当時多かったはずです。
この頃から勉強ができたとしても自分よりも仕事が出来ない人を見る度に、
「勉強が出来たって仕事が出来なかった意味がない」そう思っていたのに、
就活や転職になると学歴で落とされてしまうという世間の学歴社会に絶望すら感じました。
“結局は学歴が全てなのか”
世の中の理不尽さを感じつつも、私は就活を辞めスタバにフリーターで残り、
内部からの社員投与を目指す決意をしました。
その後、実家の家業は廃業となり、両親は離婚し母と私は実家を出ていくことに。
バイト代も一部を家に入れながら残りの学生生活を送りました。
畳み掛けるように卒業式直前には東日本大震災もあり、
卒業式も簡素化し、パーティーは中止などを目の当たりにし、
今ある日常は当たり前では無い。だからこそ後悔のない人生を歩みたい。
そう考えるようになりました。
フリーター時代〜結婚〜不妊治療から出産まで
フリーターになり、社員を目指し日々を過ごしていましたが、
現在の主人とお付き合いをし始めたタイミングで同棲を開始。
震災も経験し、早くから結婚を意識していました。
その後、話はトントンと進み、式場も予約。横浜の引越しを考えていましたが、
引越しが絡んだことで昇進も遠のいてしまいました。
この時初めて社会人は結婚など「女性特有のフェーズごとの悩み」があるんだと実感。
結婚してからは、早くに子どもを授かれたらと思っていた事もあり、妊活も開始。
しかし、何年経っても妊娠することは無く、気付けば結婚から5年が経っていました。
この5年の間に私は正社員に昇進し、副店長まで経験もしましたが
主人の転勤もあって自己都合の異動が社員では出来ない理由から退職。
いつでも社員に戻れるよう、朝〜夜の時間帯も働き変わらず不規則な生活は続きます。
28歳となり、30歳まであと2年を迎えたタイミングで
不妊治療も本格的に考えるようになりました。
人工授精も6回ほど経験しましたが、授かることが出来ず
半年ほど主人と話し合い、私は大好きだったスターバックスでの仕事を退職しました。
その時、私は辞めることを自分で決断したものの、自分で自分を言い聞かせるように、
「子どもが小学校に通い始めたら仕事はいくらでもできる」と話してました。
今だから分かりますが、この時私は自分の気持ちに嘘をついて蓋をしていたんです。
この話は今後のブログの発信の中で深掘りをしてお話ししていきたいと思うので、
ぜひ楽しみにして待っていてください。
仕事を辞め好きなように過ごしていた私は、
ありがたいことに退職から2ヶ月で妊娠し、出産。
「大好きな息子のために自分のことは諦めよう」
そうやって、【ママだから】と何かと理由をつけて諦めていました。
「子育てが落ち着いたらまたいくらでも働ける」
家族も私自身も最初の頃はそう思っていましたが、
母となり、日中は言葉を話せない赤ちゃんと2人きり。
帰ってきた旦那に話したくても旦那も仕事の愚痴や疲れが溜まり、自分の話を上手く汲み取って貰えず苦しんでいました。そんな中、出産数ヶ月にもなるとコロナも流行し、完全に社会とのつながりが途絶えました。
学生時代、リーマンショックや東日本大震災を経験したことから、
“当たり前だった日常は当たり前に続かない”と言うことを改めて実感。
このまま、繋がりが持てたとしても狭いコミュニティの中だけでしか関わらずにいたら
この世の中で自分を必要としてくれている人はいないんじゃないか…
そう思うようになり、自分の人生のゴールや将来が真っ暗な状態。
子育てが落ち着いたタイミングでは遅いと思い、
コロナが落ち着き、息子を幼稚園へ入園出来たらパートに出て働こうと思っていました。
その為には、少しでも今から体力も作っておかなくては!と思い取り組んだ事があります。
のめり込んだダイエット時代
コロナも真っ只中のタイミングで、今後の事も考えて体力も必要になると感じ、
私がのめり込んだのは“ダイエット”でした。
YouTubeで発信者も増え、私はその中のコミュニティに参加し、
ダイエットをしながらInstagramで自分のダイエット記録を発信し始めました。
1年で-17kgのダイエットに成功すると、周りから成果を出した人として注目され
インスタライブをすると同じ産後でダイエットに悩む人から相談をされるように。
この時の私は自分が出した成果をもっと極めてダイエットトレーナーに挑戦することも視野に入れ始めましたが、旦那からの猛反対もありモヤモヤしながら断念することに。
この時の私は、母になったり結婚しただけで何で自分の意思で人生を決められないのか
そう考えるようになりました。
Canvaとの出会い〜入園拒否で絶望へ
モヤモヤを感じつつ、それでも自分の人生を後悔無く生きたいという思いが強くなり、
ダイエットきっかけで知ったInstagramの運用やデザインに興味が湧いていた為、
旦那に内緒で短期間のデザイン×インスタ運用の講座に参加をしました。
SNSの基礎部分やデザインの基礎なども学ぶ事ができる講座だったのですが、
この時、Canvaに出会いました。
(正確に言うとダイエッター時代に出会っていましたが、あまり覚えてません!笑)
Instagramの運用やデザインを学び始め、Canvaを触りながら自分の力でどんどん解決したり、知らないことを調べながらどんどん吸収していくのにどんどんハマっていきました。
「デザインを仕事にしてみたい」
新たな目標を見つけましたが、インスタ運用もデザインも実績が無かったことから
過去の実績を活かしてコーヒーの講座を販売するべく
コーヒーのアカウントを作成して運用し始めていました。
当時参加していた起業家女性のコミュニティの中でインスタ運用のテンプレート販売も行いながら、コーヒー講座の集客からコーヒーの焙煎や発送、資料作成や当日の講座やZoom管理など全てを1人で行っていた事もあり、徐々に疲弊。
まだまだビジネスのことを深く知らなかった事や、コーヒーの世界も実績があったとは言え、離れている年数もあり教える立場として自分を奮い立たせることが難しく心が折れかけていました。
この時期に同時に起きたのが息子の幼稚園問題でした。
実は息子は見た目は他の子よりも大きく育ったものの、
発育や言語発達が遅く、保育を学んできた人間としてピンときていた事がありました。
2歳の誕生日までに発語もほとんどなかった事もあり、小児科へ相談して市の療育センターへ相談し、診断を受け「自閉症スペクトラム症」の軽度からグレーゾーンと言うことが発覚。
この時、私は「良かった。やっぱりそうだったんだ。」と
原因が不明でモヤモヤするよりも、原因が分かったことで安堵していました。
そんな中、1年前から幼稚園入園前のプレ保育で保護者同伴で幼稚園への体験入園を行なっていたため、担当の先生にも息子のことを相談していて、民間療育に通っていることや
いざ幼稚園への入園テスト当日。
旦那と息子3人で幼稚園まで行き、面談を受けることになりました。
期待と緊張を抱えながら面談の時間に。
蓋を開くと、プレ保育でお世話になっていた先生たちではなく、
初めて会う状態の先生方ばかりでした。
嫌な予感は的中し、息子の状況を話していたにも関わらず
当日の面談の先生には共有されていませんでした。
事態は急変し、副園長先生も出てくることに。
プレ保育の先生や先ほどの先生にも伝えていたのに、
息子に「お話し出来るかな?」と伝え、少しでも話せないか引き出そうとされていました。
「息子はまだ話せないんです。」そう私が伝えると、
「ここの幼稚園では2語文まで話せないと預かることは難しいです」
そう言われてしまいました。
しかし、私はこれまでプレ保育でも相談していましたし、
幼稚園側からは一度も2語文が話せないと預かることは出来ないとは言われてません。
園に通うまでに話せるようになる事も伝えましたが、確証がない事から入園を断られてしまいました。
その後も近所の幼稚園で困った時にはここの園に聞くと良いと言われた園にも
小規模の園のため人数の確保が出来ないとのことで断られてしまいました。
目の前の景色がガラガラと崩れて真っ暗な状態になりました。
同時に、幼稚園の入園に向けて何か仕事をしようと思っていたのにそれも叶わなくなり、絶望の淵に立たされました。
心が折れかけていた時に出会ったスクール
ビジネスを続けることが難しいと感じていた時にスクールに出会いました。
長い期間活躍し続けている人から現場の声を聞いて学び続ける事ができ、
何よりもインスタ集客に困っていた私にとっては自分を見つめ直すきっかけになりました。
入会した決め手は、充実したコンテンツはもちろんですが
・現役で活躍している講師との壁打ち
・フリーランスとして求められるマインドや仕事術
など一般的なスキルだけが学べるスクールと違った事が学べるので、
今の自分にはこういった基本的な部分が必要だと感じ、
藁にもすがる思いで入会を決意しました。
入会してから自分自身の過去や今後どんな人生を歩んでいきたいのか?を考える事があり、自分で自分の人生を決めていきたいと思うようになっていた私にとっては求めていたものでした。
自分が助けたい人は誰なのか?
人よりも自分にある強みを活かせることは何なのか?
突き詰めていった結果、デザイナーとしてデザインの受注を受けることや
人よりもCanvaについて詳しくなっていったことから、
Canvaの操作に困っている方へのサポートをしたいと思うようになりました。
ありがたいことに発信の方向性が決まってからは
1ヶ月半でお問い合わせが15倍UPし1ヶ月で23件のデザイン提供をすることができ、
講師や企業のコンサルなどに携わらせていただく機会ができました。
数年前までの自分では考えられなかった
“kikiさんにお願いしてよかった”
“あの時壁打ちしてよかった”
そう言っていただける機会が多くなりました。
最後に